ラオス
▲ラオスの農村
NVCはラオス支援を目的に行った1989年の愛のかけ橋バザーが契機となって誕生したように、ラオスはNVCが最初に支援した土地であり、NVCのルーツです。
ラオスにおける高い乳幼児の死亡率等の改善のため、JVCラオスが行っている母子保健衛生や農村生活改善普及委員養成プロジェクトに共鳴し、1990年から10年間、支援・協力を行いました。
年度
主な事業内容
1990−2000
10年にわたり毎年約100万円ずつ送金
*生活改善普及員による農村開発プロジェクト
*ラオス伝統織物保存プロジェクト
2000
JVCラオスとの共同プロジェクト開始:衛生知識普及のための小冊子発行
2001
JVCラオスとの共同プロジェクト:2村での井戸掘削と導水施設建設
2002
JVCラオスとの共同プロジェクト:1村での簡易水道施設建設
2003
JVCラオスとの共同プロジェクト:1村での深井戸建設支援
ラオスについての詳細は以下の
NVCライブラリー
をご参照下さい。
第三集「ネットワークラオス」
第八集「ラオスありてNVCありき」
糸の結び目―NVCとは―
1989年JVCラオスの谷山博史さんは新潟大学の多賀秀敏教授の国際関係論の講義に招かれた。そのときの講義の内容は「ラオスでは栄養、衛生知識の不足から,ひどいところでは幼児死亡率が3人に一人。そこでJVCラオスは国連やラオス助成同盟と協力して、農村生活改善プロジェクトを開始した。賛同する方は誰でも支援できる」とのことだった。この講義に社会人聴講生として出席していた新潟市市議会議員の佐藤幸雄さんが何か行動を起こさなければと提案した。この提案に賛成する人は想像した以上に多かった。
とりあえず、バザーを開いてJVCの活動に資金援助しようということになった。そこで、「第1回新潟ラオス愛のかけ橋バザー」を開催するに至った。当初から第1回と銘打ったのは、「農村の生活を改善するのに、1年や2年はつきあったところで意味がない。最低でも5年や10年は毎年100万円ぐらい送る覚悟で付き合わなければ」という意見が多くの人からあがったからだ。つまり、「第2回も第3回も当然やるぞ」と、その出発点から考えていた。
バザーは初めてという人々ばかりが集まった。なにを同段取りしていいのかわからない。とにかくJVCの活動を支援することを通じて、ラオスの人々、特に子どもの命を一つでも多く救えればという思いの人々ばかりだ。いざ新潟でバザー用の商品を集め始めると「ラオスという国はいったいどこにあるの?」というくらい興味の対象外だった方でさえ、今、ラオス国が自分の足で立ち上がろうとしている事情を説明すると、快く商品を提供してくれた。中心になって走り回った全日性市民の学生たちが得たものは大きかった。このようなラオス支援の声を耳にし、協力する方は個人から家族、団体、企業、役所へとどんどん広がった。マスコミも好意的に取り上げてくれた。
バザーの前日や当日は、週末性市民の主婦や勤め人が集まった。なれない値段つけ、ディスプレイなどを夜遅くまでかけてやり終えた。当日は人が来るかどうか心配だった。しかし、若い人のマイク片手の「街宣」活動や、カメラやマイクを会場に入れてくれたマスコミや、口コミの成果でほとんど二日間人波が途切れることがなかった。
売上は213万円にもなった。このバザーのために走り回った人々自身の得たものは,売上よりもはるかに大きい。特に、参加した若い人達が社会を見る眼を養った点は、何にも代えがたい。
バザーの商品集め、バザー当日の売り子として、全くの無給のボランティア文字どおり手弁当を用意して手伝ってくれる人、商品を出す人の数は、過去三回で急激に増えている。ちなみに、第三回バザーの売り子は、買いに来てそのまま手伝ってしまった中学生や、先生に連れられてやってきた高校生など含めて百名を越えた。
第一回終了後、「金額もさることながら、新潟でこのような協力の大きな輪ができるのはすばらしい。ラオスの農村生活改善にも引き続き協力するべきだ、継続して支援しなければ意味がない」という助言があり、1990年3月31日、約百名弱の人が一堂に会して、NVC新潟国際ボランティアセンター)が設立された。
NVCが重視するのはお金の額よりも、人の輪や心の輪だ。人々を結びながら人そのものを育てる。そのため、NVCはラオス及び東南アジアの理解のためスタディーツアーを行うことにした。事前に簡単な研修をしてからタイの難民キャンプやスラム、ラオスの農村などJVCが活動する現場へ訪問させていただき、そこで活動するボランティアから説明を受け、東南アジアが抱える問題やボランティア活動そのものを学んでいる。第一回のスタディーツアーは、タイ・シンガポールを十日間にわたって訪問した。この貴重な経験から、スタディーフォーラムを行い、1年間で2500人の人々が報告を聞いた。そして『国境を越えて遠く』と題する単行本スタイルの報告集も一千部出版された。ツアー参加者は、今やNVCのすべての活動の中心となっている。第二回はラオスへ、第三回は若い会員を中心に再びタイ・シンガポールへ、第四回はラオスへと出かけた。送ったお金がどのようにして活用されているかを会員代表として目で確かめるという意味もあった。このようにして、NVCは着実に市民活動の輪を広げている。
この責任ある支援、継続的支援のため、人材育成や、現地の詳しい情報を得るためNVCでは近い将来新潟から人を派遣する計画を立てている。こちらから人を派遣することで、より一層深いつながりができると確信している。
会員間の交流会としては、東南アジア料理で新年会を開いたり、ラオス定住難民との交歓会ではラオス民族舞踊を披露してもらった。今年(注*)はこの他、ベトナムへミシンを送ったり、ラオス絵はがきを作成し、初めてロゴマークが登場した。NVCの活動の輪はぐんぐん大きくなっている。今年行われた「第三回ラオス愛のかけ橋バザー」では県外からの協力も得られた。
以上、設立の経緯から、人を現地に派遣しようという将来計画までNVCの紹介を簡単にした。これからも新しいアイデアを取り入れ、非営利民間団体としてラオス、東南アジアの生活改善や、国境を越えた人の輪の創造に力を注ぎたいと思う。
東北タイやラオスには大事な身内や客人を送り出すときに、バシーの儀式といって、道中の無事や健康を祈ったり、再会を期したりする願いを込めて、去る人の腕に、残る人が、糸を結びつける習慣がある。日本語では、糸は意図でもある。新潟の人々の隠れた意図は、バシーの糸で深くラオスと結ばれたようだ。JVCが結んでくれたと思っている。
注* 1991年発行の「ネットワーク・ラオス」からの抜粋のため「今年」という記述はいずれも1991年のことです。