旧ユーゴスラビア〜クロアチア〜

 「かけ橋」や「もうひとつのかけ橋」に掲載された記事などを中心に現地の様子や現地でのNVCの活動に関する情報をおとどけします。

旧ユーゴスラビアレポート

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はじめに―なぜクロアチアへ?―NVCライブラリー第6巻「戦火の果てに生きて」:1996年9月1日発行)
1994年9月25日「サラエボよ明日は」と題するコンサートが新潟で開催されました。1984年サラエボ冬季オリンピックのフォーマルソングを唄った旧ユーゴスラビア出身の歌手ヤドランカさんを迎え、「ガタ響」の呼び名で新潟市民に親しまれている新潟交響楽団の協力で行われたこのコンサートはNVCでも初めての試みでした。新潟発世界への愛の架け橋をつなげてきたNVCでは、主にラオスに向けての支援を続けてきましたが、発足5年目を迎え、年間に一つ緊急支援活動をやることになり、旧ユーゴ難民支援チャリティコンサートの準備にすぐとりかかりました。昨年はあわただしい年でした。
 ヤドランカさんの平和を願って唄う歌の数々には、参加した市民のみなさんの共感を呼ぶことができました。収益金はすぐに現地に送られ傷ついた人々の医療費に充てられました。

 このコンサートの一番大切な目的は、旧ユーゴで暮らす人々が世界から見捨てられているのではなく、地球の片隅の新潟に住む市民も一緒に惨状を憂い一日も早い解決を望んでいるというメッセージを届けることでした。この活動が、(財)国際交流基金に認められ、今回のクロアチアへのツアーが実現しました。この戦争での難民の数は、150万とも160万とも言われています。今回のツアーはクロアチアの首都ザグレブで難民救援活動を続けているNGO,CWWV(注)との交流、意見交換を目的に計画されました。

 NVCのメンバーの他に、市民の意見を求め、総勢10人で行ってきました。難民施設、収容所訪問など意欲的にプログラムを組んだのですが、結論から言うとごく一部しか実行できませんでした。

 ミサイルの投下、爆発音、非常サイレン、外出禁止シェルターへの避難令…戦時下でした。

 今日もその惨状が新聞、テレビで報じられていますが私に限ってというとツアー参加後は以前にもましてボスニア、クロアチアの情勢に関することが目に飛び込んできます。

 参加者のそれぞれの目で見たこと、感じたことをレポートにしてまとめました。

 ご感想をお聞かせいただければ大変うれしいです。
 
                                        1996年8月26日 団長 袖山由美子

P.S. 全員無事に帰国いたしましたこともお伝えいたします。

注 CWWV:女性戦争被害者救済センター


旧ユーゴNGO交流プロジェクト実行委員会(「かけ橋」10号:1997年5月26日発行)

§コンセプト 

 NVCは1回のクロアチア・スタディツアーと、民主的・平和的NGOの活動について3回の現地調査を行いました。最近の彼女・彼らが異口同音に訴えるのは、「難民問題や民族対立、女性の社会的地位など旧ユーゴ社会の問題は何も解決されていないのに、形の上では戦争が終わったことで、国際社会が旧ユーゴへの関心を失っている」ということです。このことは具体的には、旧ユーゴNGOとコンタクトを取る国外の団体と、その財政的支援が減っていることに示されています。
 NVCの旧ユーゴNGO交流プロジェクトとしては、「旧ユーゴ紛争は終わっていない」という認識に立ちながら、またCWWVをはじめとする民主的で平和的な現地NGOの情報に基づき、旧ユーゴ市民の現状について、多くの人々に関心を持っていただくことを基本にしたいと思います。その上で、「私たちに何ができるか」を多くの市民・NGOとともに考えて行きます。 

§具体的活動 

 1995年のCWWVのプロモーション・ビデオを翻訳し、その後にNVCが撮ったテープを合わせて編集し直し、日本国内でのプレゼンテーション用ビデオ・テープを作製する。そのためには、専門機材とビデオ編集のプロが必要です。これを県内で上映するとともに、全国の女性団体・平和団体・個人等に販売します。上映会、ビデオ・テープ販売ともにCWWVへのカンパ付きになります。
 新潟の市民が気軽に旧ユーゴスラビアへの関心を持ってもらうために、川崎の市民団体が行っている『旧ユーゴスラビア子どもの絵展示会』を新潟でも開催し、川崎市在住の今時ミルカさん(旧ユーゴ出身)の講演会をセットにします。
 CWWVをはじめとする旧ユーゴNGOとの情報交換は、現地調査も含めて引き続き行い、NVC会員に適時、適当な方法で現地情報を提供します。